毎朝 やること
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最近のヒットはこれ
以下 メルマガ『がんばれ 社長』 より
『あきらめず、がんばれ!』
関東地方で製造業を営むS社長は、20年前に氏がまだ20代半ばだった頃に独立した。
時代の先を見る戦略の確かさ、技術の高さ、部下指導の巧みさ、客あしらいの上手さ、持ち前の向上心と勉強熱心さなどが相まって業績はグイグイ伸びていった。悲願の工場移転、本社移転も果たし、ゲスト用に迎賓館まで作った。あとは人の問題を解決することと、地元の若手経営者を育てることがS社長の念願だった。
●結婚が早かったので、S社長の子どもたちはすでに成人していた。彼ら・彼女らを後継者に育てるために起業経験をさせることにした。起業には飲食店が良いと考え、地元で焼肉店を開業し、息子を社長兼店長に据えた。S社長は仕事上の接待はもちろん、親しい友人も誘って息子が経営する焼肉店を盛りあげた。そしてその店も成功し、息子も成長した。
●50歳を前にして、やるべきことをやり終え、引退を意識しかけていたころに、突如おそった2008年秋のリーマンショック。その後も長びく不況の影響で、S社長の本業基盤がガタガタと揺れた。液晶テレビの部品など成長分野に的をしぼってきたが、それでも仕事
は激減した。
●一年ほど前の「がんばれ!ナイト in東京」でのこと。
「徐々に景気回復の兆しが見え始めている」と私がスピーチをしたところ、S社長は「どこに回復の兆しが見えるのですか?少なくとも当社にはそれが見えない」と異論を述べた。
その顔はいつものように笑顔だったが、先が読めない不安からだろうか、必ず懇親会まで参加していたS社長が、めずらしくとんぼ返りで帰って行かれた。
●あれから一年になる。
最近、所用で名古屋のヒルトンに出向いた際、「そういえば、S社長とここで鉄板焼きを食べたな」と思い出した。おそらくそれとほぼ同時に、S社長は私に手紙をしたためておられたようだ。
●昨日、ランチを終えてオフィスに戻ったら差出人不明の郵便物が届いていた。小箱に濃紺のラッピングがしてあった。
「なんだろう?」と思いながら開封したら、ラルフローレンの箱が現れた。
●「誕生日でも記念日でも何でもないのに誰が何のために・・・」と思って箱を開けた。
中からオシャレなポロのタオルが出てきた。箱の中に二枚ほど紙が同封してあった。一枚は私へのメッセージで差出人はS社長だった。もう一枚は日本経済新聞の「私の履歴書」のコピーだった。
●手紙にはお礼の文面がつづってあった。
いつも、いろいろ心配をしていただいて感謝申しあげます。2008年秋以降のリーマンショック以降続いた厳しい経営状況も今年4月から黒字に転換いたしまして、6月・7月は過去最高の受注量に迫る急回復で、社員と皆とうれしい汗をかいて、ものづくりに励んでいます。おかげさまで当社も11月で20歳の誕生日を迎えることが出来ます。
日本経済新聞の【私の履歴書】の7月は、蛍光たんぱく質の発見によりノーベル化学賞を受賞した下村脩氏でしたが、最終の2ページに、"うん、うん"と、私のこれからの道標となるような言葉が有りました。
沢山の皆様に支えられて20年間すばらしい仕事をさせて頂きました。私も、世界の子供たちに、若い人達に、『がんばれ!がんばれ!物事を簡単にあきらめてはだめだ。』と伝えて生きたいと思います。
いつも、ありがとうございます。
2010年8月15日 S
●新聞のコピーは、2010年7月30日と31日の【私の履歴書】だった。
下村氏の力強いメッセージの箇所に、S社長が引いたと思われる赤線が引いてある。
----------------------------------------------------------------
・どんな難しいことでも、努力すればなんとかなる。絶対あきらめな いで頑張ろう
・ノーベル賞を受けた翌年の講演で研究者の卵から質問を受けた。 「研究で成果が出ず、行き詰まったときはどうすればいいか」とい う問いだった。ちょっと考えた後、こう言った。 「かんばれ、がんばれ」。 つべこべ言わずに努力しなさいという、突き放したような言い方に、 ひょっとしたら聞こえたかもしれない。もう少し丁寧な答え方をし ようとも思ったのだが、私が言いたかったのは、結局はこの「がんばれ」という単純な言葉に尽きるのである。
・「やりたかったことをやっていて行き詰まったらどうするか」と、 聞かれたこともある。この質問の真意が私にはよく分からない。 すぐにあきらめたり、ほかのことに移ってしまったりするのは、そ れはそのことが本当にやりたかったことにはならないのではないだろうか。
・私がやってきたのは基礎研究である。 何かの役に立つとか考えたことはほとんどない。そうした基礎研究 の蓄積があって、緑色蛍光たんぱくGFPのような、後に社会に役
に立つものが生まれた。まったく予想を超えたことであった。あら
かじめ、予定されている成功などはないのだ。
・日本の若い人たちに重ねていいたい。がんばれ、がんばれ。物事を 簡単にあきらめてはだめだ。
今日も1日 がんばれ がんばれ
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『あきらめず、がんばれ!』
関東地方で製造業を営むS社長は、20年前に氏がまだ20代半ばだった頃に独立した。
時代の先を見る戦略の確かさ、技術の高さ、部下指導の巧みさ、客あしらいの上手さ、持ち前の向上心と勉強熱心さなどが相まって業績はグイグイ伸びていった。悲願の工場移転、本社移転も果たし、ゲスト用に迎賓館まで作った。あとは人の問題を解決することと、地元の若手経営者を育てることがS社長の念願だった。
●結婚が早かったので、S社長の子どもたちはすでに成人していた。彼ら・彼女らを後継者に育てるために起業経験をさせることにした。起業には飲食店が良いと考え、地元で焼肉店を開業し、息子を社長兼店長に据えた。S社長は仕事上の接待はもちろん、親しい友人も誘って息子が経営する焼肉店を盛りあげた。そしてその店も成功し、息子も成長した。
●50歳を前にして、やるべきことをやり終え、引退を意識しかけていたころに、突如おそった2008年秋のリーマンショック。その後も長びく不況の影響で、S社長の本業基盤がガタガタと揺れた。液晶テレビの部品など成長分野に的をしぼってきたが、それでも仕事
は激減した。
●一年ほど前の「がんばれ!ナイト in東京」でのこと。
「徐々に景気回復の兆しが見え始めている」と私がスピーチをしたところ、S社長は「どこに回復の兆しが見えるのですか?少なくとも当社にはそれが見えない」と異論を述べた。
その顔はいつものように笑顔だったが、先が読めない不安からだろうか、必ず懇親会まで参加していたS社長が、めずらしくとんぼ返りで帰って行かれた。
●あれから一年になる。
最近、所用で名古屋のヒルトンに出向いた際、「そういえば、S社長とここで鉄板焼きを食べたな」と思い出した。おそらくそれとほぼ同時に、S社長は私に手紙をしたためておられたようだ。
●昨日、ランチを終えてオフィスに戻ったら差出人不明の郵便物が届いていた。小箱に濃紺のラッピングがしてあった。
「なんだろう?」と思いながら開封したら、ラルフローレンの箱が現れた。
●「誕生日でも記念日でも何でもないのに誰が何のために・・・」と思って箱を開けた。
中からオシャレなポロのタオルが出てきた。箱の中に二枚ほど紙が同封してあった。一枚は私へのメッセージで差出人はS社長だった。もう一枚は日本経済新聞の「私の履歴書」のコピーだった。
●手紙にはお礼の文面がつづってあった。
いつも、いろいろ心配をしていただいて感謝申しあげます。2008年秋以降のリーマンショック以降続いた厳しい経営状況も今年4月から黒字に転換いたしまして、6月・7月は過去最高の受注量に迫る急回復で、社員と皆とうれしい汗をかいて、ものづくりに励んでいます。おかげさまで当社も11月で20歳の誕生日を迎えることが出来ます。
日本経済新聞の【私の履歴書】の7月は、蛍光たんぱく質の発見によりノーベル化学賞を受賞した下村脩氏でしたが、最終の2ページに、"うん、うん"と、私のこれからの道標となるような言葉が有りました。
沢山の皆様に支えられて20年間すばらしい仕事をさせて頂きました。私も、世界の子供たちに、若い人達に、『がんばれ!がんばれ!物事を簡単にあきらめてはだめだ。』と伝えて生きたいと思います。
いつも、ありがとうございます。
2010年8月15日 S
●新聞のコピーは、2010年7月30日と31日の【私の履歴書】だった。
下村氏の力強いメッセージの箇所に、S社長が引いたと思われる赤線が引いてある。
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・どんな難しいことでも、努力すればなんとかなる。絶対あきらめな いで頑張ろう
・ノーベル賞を受けた翌年の講演で研究者の卵から質問を受けた。 「研究で成果が出ず、行き詰まったときはどうすればいいか」とい う問いだった。ちょっと考えた後、こう言った。 「かんばれ、がんばれ」。 つべこべ言わずに努力しなさいという、突き放したような言い方に、 ひょっとしたら聞こえたかもしれない。もう少し丁寧な答え方をし ようとも思ったのだが、私が言いたかったのは、結局はこの「がんばれ」という単純な言葉に尽きるのである。
・「やりたかったことをやっていて行き詰まったらどうするか」と、 聞かれたこともある。この質問の真意が私にはよく分からない。 すぐにあきらめたり、ほかのことに移ってしまったりするのは、そ れはそのことが本当にやりたかったことにはならないのではないだろうか。
・私がやってきたのは基礎研究である。 何かの役に立つとか考えたことはほとんどない。そうした基礎研究 の蓄積があって、緑色蛍光たんぱくGFPのような、後に社会に役
に立つものが生まれた。まったく予想を超えたことであった。あら
かじめ、予定されている成功などはないのだ。
・日本の若い人たちに重ねていいたい。がんばれ、がんばれ。物事を 簡単にあきらめてはだめだ。
今日も1日 がんばれ がんばれ